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便り2 アムステルダムから

カテゴリ : 住む人日記 2019.02.13

先週末、述べ15日間の長旅から無事に帰国しました。
とは言っても観光地を訪ねたのはパリのエッフェル塔のみ。撮影と展示会の無い日はひたすら各地のデザインショップやアパレル、ヴィンテージショップなどを求めて街歩き。とても良い感じのレコードショップや、本屋もありました。
あくまで私見ですが、感じた事を書いてみます。

行く先々で感じたことは、欧州人の財布の紐は、とても固くシビアです。日本と同じように「流行」も存在しますが、あまり色濃くありません。欲しかったものがあっても、先ず立ち止まってよく考え、本当に必要か自問自答します。展示会に立っていても、よく考えるからこそよく悩んで、一日に何度も同じ商品を見に来たりします。それが習慣付いているのか、他人とあまり同調せず自身の考えに基づき、ある程度一貫性のある取捨選択をして生活しています。これは日本人よりも顕著だと強く感じました。

そしてもう一つ、「新しい物」に対する受け取り方も独特です。どんな文脈で、どんなオーソドックスから生まれてきた物なのか。本当に新しいものか、とても厳正な目で見ています。

帰国してから、桑沢デザイン研究所を立ち上げた桑沢洋子さんについて綴られた「ふつうをつくる」(著:沢良子)を読んでいると、あぁ、西欧人は「ふつう(オーソドックス)」をよく知っていてそれを蔑ろにしない人たちなのだと、なんだか妙に納得したのでした。だからこそ彼らは、新しいものにも敏感なのかもしません。

私は日本にいると「丁寧な暮らし」を意識されてるんですか?と言われます。でもまったく違います。(今やこの「丁寧な暮らしは」は意識高い系を暗喩する言葉として意地悪な使い方をされつつありますが…)現代の方が優れていること、昔の方が優れていること、その両方を考えながら生活しているに過ぎません。すると必然的に、コンビニは便利だけど家で料理した方が安くて美味しいし、よく使うからこそ好きな器や家具を長く大切にしたいと思う。よく考えると、とてもふつうで、オーソドックスなことなのです。

西欧の街角でアパルトマンやマンションを覗き込むと、どこの家にも季節を感じるために花は飾られているし、高級でなくてもオシャレに部屋は整えられています。服も多少傷もうと長く切るし、基本的に物をとても大切にします。それがオーソドックスなことのようです。
そして彼らには、あまり夜の外食文化がないので基本的には家族と家庭料理を楽しみます。そういうレベルで考えてしまうと、もう西欧人はみんな物凄く丁寧な暮らしをする人たちです。(そんなことはありません)

ひと昔前の日本人だって、彼らとなんら変わりなく、ふつうを大切に思慮深い生活をしていました。いったい何がふつうでオーソドックスなのか、馬鹿馬鹿しいかもしれませんが、改めて考え直すことも、1990年代生まれの若者に課せられた宿命なのかもしれません。

 

 

住む人編集部 K.H