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品格のある街

カテゴリ : お山生活 2018.02.16

好きな言葉はなんですか?
そう聞かれたとき、私が思い浮かぶ言葉のひとつに
「品格」があります。
あと「気品」という言葉もとても好きです。

品格や気品があるというのは、とても大切なことで、
立ち振る舞い、言葉遣い、服装などは、その人を表すとよく言われます。
私も子どもの頃から、「品がないことはするな」と
学校や母から厳しく言われるほど、「品」という言葉は幼少期から
耳にしていた言葉です。
一時期、著書などでも「品格」という言葉を使って、ブームになった
こともあったと思いますが、そもそも「品格」というものは、
一時的に身につくものではないからこそ、人々が憧れ、
身につけようと努力をするし、子どもの頃からの躾とされてきました。

今日、品格の話を出したのは、
私は、街にも、「品格のある」街並みがあるというお話し。
または、かつては「あった」というお話しです。
それは、何十年もその地で培われてきたムードというものだと、
解釈していただいてもいいと思います。

私は、ここ3年ほど80を過ぎる伯母に、日本画を習っているのですが、
その伯母から、昔の鵠沼や鎌倉の話をよく聞きます。
先日も稽古中の会話で、「昔の鵠沼には品格というものがあった」
と話し始めました。
そこで育ち、いろいろな方々との出会いから自分自身が得てきたものが、
どれだけ大きな知的財産となったか計り知れないと。
住んでいる人たちの質の高さ、文化意識。
女性の多くが、嗜みとして芸術に触れていたことなど、
自分が出逢えた数々の年配者から教えを乞うたことで、
文化や芸術を継承できたと語っていました。
そうした人々が集まる場所には、やはり街そのものに品格があった
というのです。内側から醸し出す品格が、家や街そのものにも
現れていたということだと思います。

私の住んでいた20年前の鵠沼でも、今よりもお屋敷が残っていました。
大きな企業の会長宅や文人、芸術家も多く、伯母の言う「品格」を
漂わせた住宅地の雰囲気を今でも覚えています。
伯母が鎌倉山のとある邸宅で、日本画のお教室を持っていた時のことも
いろいろ聞いていると、当時の品の良さが想像できます。

もちろん、伯母の話は、時代背景もあることですから、今と比べても
仕方のない話かもしれません。
そして、今が「品がない」というお話ではなく、
街並みにも品格があり、品格のある場所というのは、
どこか街の装いというか立ち姿と言ったら変なのですが、
その空間そのものに気品が現れる。
きちんと手入れがされた庭。統一感のある落ち着いた色を基調にした外観。
家の顔となるアプローチには、植栽があり、人工物を上手に環境に
溶け込ませるムードが広がっています。
どこにお金をかけるべきかを、よく知っているという風に、自分の家のこと
だけを考えるわけでなく、その街並みのひとつと捉えた
在り方なんだと思います。
この地にふさわしい建物とは?ということを推奨もしたでしょうし、
住む側も意識したのでしょう。
だからこそ場所場所で、そうした空気感を垣間見た時に、
人々は「風情がある街並み」と言って心奪われるのかなと、
京都のとある場所を歩いている時に、実感しました。
いまや、京都は観光したい場所として世界1位なんですって。
それはそれで、また課題も多いとは思いますが、
そう思うと、観光が盛んな鎌倉は、長い目で見て、
その「品格ある街並み」を大切にすることは、
市としての存続の意義でもあり、重要な収入源にも繋がるのでは?
と、ふと、そんな風に考えることがよくあります。
街を歩いているだけで、なぜか心が満たされる。
そんな風景を、残すまたは改めて再生させる。
温故知新でよいので、そんな意識をもって、それぞれが家づくりを
考えていけたらいいなと感じています。