気持ちを継ぐ、金で継ぐ。
カテゴリ : お山生活 2017.07.15
半年前に直しに出していた器が戻ってきた。
友人の漆師さんが、金継ぎをしてくれるというので、お願いしていたのだ。
「金継ぎ」は、手間もかかるし時間もお金もかかる。
だから、高価なモノじゃないともったいないという気持ちが、
以前はあったのだけれど、自分が大事にしていたものが、
割れてしまった時の悲しみはやっぱり大きいもので、
もし直して使えるならばと、ずっととっておいた器があった。
20年ほど前に、陶芸教室で体験をした時に作った梅小鉢は、
それはそれは思い出深い。
とても楽しい体験だったこと、それを20年も割らずに愛用してきたのに、
割れた時のあの悲しい気持ち。
それをさらにボンドでくっつけてしまったもので、
もっと侘しい気持ちになっていた。
それを直してやりたいという気持ちがふつふつを湧いて、
今回お願いをしたのだ。
その大事な器は、彼に命を吹き込んでもらったことで、
以前よりも趣きが出た。素人の作品に風格すら増したと、
自己満足してしまい、自慢の1品にすらなった。
印判小皿は、金額もお手頃で高価なものではない。
これも20年ほど前に、購入したものだった。
でも、大正時代の代物ということは、いろいろな人の手に渡りながら、
今日まで壊れずに私の元へやってきたわけだ。
それは、大事に扱ってきた人の気持ちがあるからだと、私は思っている。
それが、私のところで壊れてしまい、そのままもし捨ててしまえば、
そこで気持ちを継ぐのは終わってしまうことになるけれど、
こうして金継ぎをして、いつかまた誰かの元へと旅立てば、
それはまたまた、私の歴史と気持ちも含めて継ぐことになる。
それを受け取った誰かさんは、
「このお皿は大事にされたんだな。なにか思い出があるのかな」と、
このお皿を見て、想いを巡らせる。
高い安いの話ではない、この気持ちを継ぐという行為。
金継ぎは、そんな行為のひとつのように思えて、
素晴らしい伝統的な修復法だと、改めて感じている。