SUMIBITO

暮らしの感性

カテゴリ : お山生活 2017.05.05

20年ほど前から、暮らしをテーマに仕事として表現したいと
漠然とした気持ちをもっていた。
と言っても、インテリアコーディネーターや、スタイリストになりたいとか、物質的な方面からのアプローチではなく。
暮らしを取り巻く住環境、空間とそこにある暮らしの心地ちの良さのつながりとはなにか。
私のいうそれは、とても感覚的で、資格のように学び、身に着けていく類のものではなく、
日々の中で、感覚を研ぎ澄まし、五感で受け止め得ていくもの。
そういった考え方、捉え方をきちんと表現して、伝え、
見せていかれないだろうかと、ずっとずっと思っていた。
もちろん、今も思い続けていること。
あの頃は、もっともっと漠然としていたのだけれど、
子どもの頃から感じ取っていた
暮らしを包み込むムードや豊かな時間を、伝える手立てがほしいと
今も夢を抱き続けている。

でも、それをどうやって、どんな風に、表現し、形にしてゆけばいいのか。
よくわからないまま、横道にそれたり、立ち止まったりして
今日まで来ているのだけれど。
表現力も足りない自分。まだまだだと思いながらも、
きっとそのぶれない気持ちが、このSUMIBITOというひとつの形の
表れでもあるのかもしれない。
そして、リトルプレス「住む人」しかり。

答えもない。もちろん正解もない。
でも、その感覚をもし、共有できる仲間が増えるのならば、
それは正解と呼べるのかもしれない。
資格でもない。レベルを測るものもない。
でも、これは絶対に養っていって無駄なことではないこと。
もしかすると、すべての上で一番重要なこと。
感性だから、きっと人それぞれだろう。
でも一つだけ大切なことは、
「暮らす」ということは、
利便性や合理性だけでは決して測れないということ。
景観の中に溶け込む住まいの美しさと同じで、暮らしもまた
取り巻く環境に調和していく中で、初めて得られる豊かさがある。
それには、まず自分がぶれないことが一つのテーマでもあり、
美しさを感じ取る感性を磨くことだと思う。
そして今、もっとも求められているものの気がしている。


なので、心に残る言葉が綴られた本も、
ときどき紹介していこうと思う。
昨日読んでいた本で、こんな言葉があった。
「家」と「庭」があって「家庭」ができる。
庭は周辺の環境を生成する領域であり、
プライベートなスペースにも関わらず、
周囲の住環境を形成する半公共的な意味と役割をもつ空間であると。
この「庭」という部分ひとつとっても、どのように解釈するかで住環境の
善し悪しの運命がきまる。

こういった感性をもつことは、人々と気持ちよく交流をしていく上でも
大切な感覚だと私は思っている。
そんな感覚を伝える、語りべになれたら素晴らしいと思う。