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鎌倉山の野草

カテゴリ : お山生活 2017.02.26

私が野草に目を向け始めたのは、かれこれ10年くらいだろうか。

もちろん、小さい頃にシロツメクサで冠を作ったり、
タンポポやドクダミはたくさん咲いていたし、ヨモギを集めては草餅を作ってもらったりと、
家の前にあった大きな公園の野草に慣れ親しんだもの。
でも、いつからか道端に咲く、あまり目立たない野草のことはすっかりと忘れてしまい、店先に並ぶ華やかな花たちに心奪われていった。

愛でる気持ちが再び芽生えた頃、偶然にも日本画家の伯母から
絵を習うことになった。
東洋画の没骨法と言われる技法の一種で、「付け立て」と呼ばれる輪郭線を用いず、陰影や立体感を出す技法を中心に、野草を描くレッスンを受けてからは、その愛らしさにくぎ付けとなった。
伯母が描いた古い手本帖にある野草で、もうこの鎌倉山でも見ることができない種類もいくつもあったりするのだけれど、
野草の図鑑を片手に散歩をする楽しみや、花の名前を憶え、形を覚え、
デッサンをして、最後に顔彩と呼ばれる絵の具を使って墨絵を描くのは、下手ながらも楽しいひと時となった。
観ているようで花弁の数も知らない。
知っているようで花の名前も知らない。
こんなに身近にありながら、知らないことだらけだった。

絵を習ったことで、絵本作家の甲斐信枝さんや植物写真家の埴 沙萠さんを知り、また野草・雑草の不思議を紐解く愉快な本にも出会った。

ここ鎌倉は、日々の中で野草に触れる機会が多い、
とても緑の豊かな地域だ。
以前は犬の散歩をしながら、近所で咲く野草の名前を覚えていったが、
今はあえて野草を探しに行くこともあり、足元の季節の変化を感じるのが楽しい。これが咲いたらもう春だ、秋だと思う心。冬に咲く僅かな花を愛でる楽しみ。
1年を通して、暮らしの中での微かな季節の流れ。
日々感じ取ることを忘れずにいられる気持ちの余裕は、常に持ち合わせていたいもの。
空を眺めることも、星や月を見上げることも忘れがちな現代社会。
ましてや足元に咲く、地味な野草に目を向けることは、なかなかないかもしれないが、どんなに忙しなく過ごしていても、私たちが生きるこの星は、毎日少しずつ気づかないほどの変化をみせてくれている。
今こうして、春が静かに訪れているように。