SUMIBITO

1年の締めくくりに思うこと

カテゴリ : お山生活 2016.12.27

2016年という年は、本当にいろいろなことがありました。
短かったようで、出来事を思い返すとやはり長い1年だった。
このスミビトの立ち上げや小さな編集室をつくったり、
家づくりの仕事でも新たなプロジェクトが始まったり・・・

そして私自身では、大きな別れも。

1月に20歳になった愛猫が空に旅立ち、後を追うように息子の様に可愛がった愛犬も他界した。
愛猫は老衰で、とても静かで眠るように。
愛犬は、8か月の闘病の末、私の心の準備を見届けてから息を引き取った。
残されてしまった1匹の猫は、悲しさのあまりストレスでいつもイライラ。
私とその猫は、大きな存在を失ってしまったことで、ぽっかりと心に穴が開いたまま月日だけが過ぎ去っていく。

やがて、新たに家族として加わった新入りの猫たちと過ごすうちに、静かで優しい思い出へと変化していくのだけれど、
私はまだひとつ、大事なものを取り戻せず過ごしていました。
愛犬を失ってから、書きたいと思うことを言葉にしようとすると、
表現しようとした途端にぽろぽろとこぼれ落ちて、文章がうまく書けない。

散歩で見つけた日々の小さな感動や暮らしの中の気づき、自分の素直な気持ちがあんなにたくさんあったのに、愛犬がいなくなってからどうにも
「ことば」を使って、うまく言い表せないでいました。


私は、猫が大好き。
猫との生活は、幼い頃からもはや当たり前として、存在した。
何匹もの猫を見送り、涙し胸が苦しくなって、その存在に支えられてきたことに感謝した。そこに16年前、はじめて室内犬を飼ってみて、猫とはアプローチも違う特殊な存在に出会った。
その彼のことをある人が、「私のご家老のようだ」と表現した人がいて、
10歳を超えるころには私をまるで守る存在かのように、誠心誠意尽くしてくれた犬だった。
それを失うという意味を、死ぬまで本当の意味を理解していなかったのだけれど、当たり前にそばにいたあの存在が居なくなるというのは、まさに衝撃的な出来事だった。猫ではなく犬だからなのか、それはわからない。でも彼という犬は、本当にものすごい生き物だったなだなーと、居なくなってからただただ実感する日々。

まだ思い出すと涙がでちゃうのだけれど、こんなにも私を支えてくれていたのかと、今は感謝の気持ちしかない。
ようやく居ないことに慣れた暮らしと、また穏やかな自分に戻りつつある。来年は、野花みたいな優しい花を暮らしに添えるように、日々のちょっとした感動を、ようやくことばで綴れそうな気がしています。

心穏やかに、美しいものを美しいと言える、言葉にできる、それを伝えて
みなさんと共有することが出来そうです。
やっとそう思えるだけの時間が経ったみたい。

来年もどうぞよろしく。
心の豊かさを分かち合える、穏やかなコラムになっていきますように・・・
それでは、よいお年をお迎えください。

しらとりゆりこ