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私の人生と、一日

カテゴリ : お山生活 2019.10.18

今年は、月日が過ぎ去るのがあまりにも早い。
年明け早々から長く体調を崩してしまったことで、
仕事を挽回しようと奮闘したせいもあり、
もう10月の半ばになるというのに、私の中では半年も経っていない感覚だ。
あまりに早すぎて、日にちの感覚がないことがしばしば起こる。

気がつけば、今年は40代最後を迎えていた。
特に年齢を気にしているわけでもないのだが、やはり40代最後というのは、
半世紀を終わろうとしていることなので、感慨深い。

自分の半世紀を振り返ってみて、まだまだ未熟な自分が一体大成したと
思えるのは、いつなのだろうか?
当にそんな時期は終えていなければならなかったのか、
はたまた人間というものは、死ぬまで走り続けても満足のいく結果に
手は届かないのか。
そんなことをふと思うことが、増えた。

以前から、漠然とではあるが、すべての転機は55歳とおもってきた。
40代までにやるべきことに着手をし、5年で実らせて、
55歳からは新たなステップへ移行していくのだろうと、
漠然と15年ほど前から思うようになった。
その理由も根拠もまったくないが、自分の転機は
ここなのだろうとなぜか思う。

しかし・・・
自分は、40代までにやるべきことに果たして着手できたのだろうか?
これが最大の疑問である。
いろいろなことに興味も意欲もある。人との関りも楽しんでいる。
それと同じくらい、自分の行動を妨害するものもまた多かった。
ただひたすらに奮闘する20年を、過ごしてきた気もしている。
なぜなのだろう?と思うくらい、
人生というのは、行く手を阻む出来事が多いものなのだろう。

人生は、自分が描いたようになんかちっとも進まない。
まるで「人生ゲーム」のように、進んだかと思えば何歩も下がったり、
遠回りをさせられたり、騙されたり落ち込んだり・・・
でも、それも悪いことばかりでもなかったりするから不思議だ。
遠回りをしたおかげで出会えた人や、頭を十二分に整理できたり、
時に思いもよらないアイデアも生まれたりした。
自分が進むであろうと思っていた方向とは、だいぶズレていたとしても。
人間は、だめかもとおもったところから、驚異的な力を発揮することも
多々あることを知った。

そういえば子供のころ、自分がどんな大人になって、
どんな人生を歩むのかなんて、
大人に質問されない限りあまり深く考えてはいなかったようにも思う。
「大きくなったら何になりたいの?」
この大人の質問には、ひょっとすると大人に期待をさせるために
答えていたことも本当は多かったかもしれない。
大人が欲しがる答えを、案外子どもは知っていたりするものだ。
実際子どもなんて、情報があまりに少なすぎて、
自分がなりたい自分なんて知りもしなかったし、
ごく一部の天才を省いて、今の自分を想像したことすらないだろう。

でも、子供のころ描いていた自分は絶対的に幸せだし、
今の自分も不幸だなんてことだけは思いたくもなければ、
常に「今」が一番幸せのはずだと思ってもいる。
自分という人間は、自分の思考や言葉や知識や人との関りでできていく。
常に選択肢があり、自分でそれを選んできた結果が今の自分なのだから、
それを昔はよかったとか、あの時こうしていればとか、考えたくない。
もちろん人生の中で、後悔なんて数えきれないほどあるし、
思い出したくもない経験や、やり直せるならと思うことはいくらでもある。

正直人生を甘くみていた私は、もっと高校時代にまじめに未来を考えて
勉強するべきだったと思うことはあるが、
遠回りをして苦労して今ここに立っている自分が、
格好悪いかと聞かれたら、決して格好悪くないと思う。
だって、大変な経験を重ね鍛えてきた自分が
こうして諦めずなんとか踏ん張っていることを、
自分自身一番知っているのだから。

体が弱くて、怠け癖があって、神経質で、ちょっと傲慢な小娘が、
社会に出て世の中を知って地べたを這いつくばって、
失敗や挫折や屈辱を知り、いまだに弱気になる自分がいても
時に、泣き崩れるような感動や幸福感や愛を知って、
今元気に笑っているのだと思うと、それだけですごいじゃないかって
思える出来事が、毎年多くなるからだ。
今年は本気の喧嘩もしたし、気が狂いそうなほど議論もした。
震えるほど感動もしたし、震えるほどの怒りもあった。
いつも以上により深く考察したし、一人自問自答の毎日も送った。
びっくりするほどのひらめきや、ときめきにも出会えた。

あまりにジェットコースターのような日々のせいで、
まだ半年経つかどうかくらいの心持ちなのだろう。
それでも、50までにやるべきことが果たせたかどうかなんて、
さっぱりわからない。
何も変化がないようにも思えるし、
目に見えない何かが動き出したようにも思う。
その結果がわかるのが、55歳なのかはたまた死に際なのか。

それでも、自分の鼻と直感を信じて、
正しいよりも楽しいことを選んでいくと
この先にいいことが待っていそうな気がしている。
人生は、こうした1日1日の積み重ねでしかないのだろう。
ならば、未来のために楽しいことを選ぶ方を
これからも、選択していきたい。