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家も自分も、シンプルを纏う

カテゴリ : お山生活 2018.02.02

私は、そんなにファッションセンスがあるとは思っていません。
ただ、昔から他の服と合わせやすい、オーソドックスな色や形で
まとめることにしています。
色で遊びたければ、ストールなど小物で。
ずっと使うコートや靴やカバンは、上質でかつシンプルなモノ、
そして、型崩れしないいいものをなるべく選んで、手入れをして
長く使います。
流行のモノがほしい時は、ちょっと安いものも買ったりして
バランスを取って、たまには思いっきり柄などの挑戦もしてみたりします。

でも、絶対的に言えることは、服装はその人を表すので、
周りの人が不快に思わない清潔さが大切で、奇抜さで個性を表すより
身だしなみとして服をきちんと着ながら、個性をもつこと。
私の中では、大げさな言い方ですが、これがポリシーでもあるわけです。

そんなわけで、基本的なスタイルはずっと変わっていないかもしれません。
今日着ているカーディガンは、フランス製のもので、
18歳の時の免許証にも映っているから、
もう30年は着ていますが、まったく着くずれすることなく、今でも現役。
形も古さを感じず、いつの時代にも活躍してくれました。
そういうものが、私は好きなんです。

流行を追うことが、決して悪いことではないと思っていますが、
ただ、私は自分に合うものを知っているし、
大学のフランス語研究室に入っていた時に、教授や先輩から
色々な学びを得ました。
そして、学生の時にフランスへ初めて行って、大変な刺激も受けました。
日本では、まさにバブル時代。
若者が意味もなくブランド品に身を包み、みんな同じファッション。
一方フランスの若者は、とてもオーソドックスでシンプルだけれども、
自分たちができる範囲のオシャレを駆使し、とてもセンス良く
個性を纏っていました。
ファッションの街ですから、もちろん流行にも敏感です。
でも、若者が高級なモノを身につけることはあまりないのですが、
子どもの頃からセンスが磨かれているのでしょう。自分をよく知っている。
いいものは、きちんと祖父母や父母から引き継いでもいます。
年齢を重ねた方は、いいものを纏い、年齢相応のファッションに身を包む。
そんな素敵な街でした。
公園のベンチで本を読む姿、カップルが会話をしている姿ですら、
まるでポートレイトのようで、アメリカの西海岸しか
海外経験がなかった私にとって、
衝撃的な経験でした。
自分自身も、「シンプル」という実は、とても高度なセンスを纏いたい。
そう考えるようになりました。

その中で、20代の頃、30代の頃とそして、40代前半ともなると、
体型やいろいろな変化が出てきて、今アラフィフになって思うのです。
徐々に自分の中でも変化が起きている中、やはり家も同じことなんだなと。


若い頃に家を建て、その時の流行やノリで、家を作ってしまう。
それがその時は、とてもセンスのいいことであっても、
40代、50代、60代と、そこで住んでいくうちに
自分自身も変化していきます。
時代も変わる。自分の趣味も変わる。
センスがよかったことが、時代遅れのなにものでもないこともある。
流行というものは、そういうことです。
ましてや、日本の住宅は、性能や技術を駆使した建物が評価に値する国。
となれば、最新の性能ですら10年経てば、最新ではなくなるのです。

なので、私は思うのです。
家そのものは、シンプルでありながら、丈夫に作っておくこと。
オーソドックスで、着くずれしない良質な素材の服と同じです。
遊び心は、自分のセンスを生かし、あくまでインテリアで演出する。
要するに作りこんでしまわないこと。
家具は、靴やカバンと同じです。
いいモノ、長く使えるモノをベースに、遊び心でその時代時代で
ほしいものを少し。

そうやって家もファッションと同じに捉えれば、30代で建てた家が
60代になって玄関から出てきた時も、似合うのです。
会長が常に言い続けてきた言葉です。
「60.70になっても似合う家を」と。
43年前に建てた、技拓第1号が今でも評価されつづけることは、
つまりそういうことなんだと思うのです。