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街の記憶と時間の価値

カテゴリ : お山生活 2017.02.10

街並みを見ていると、「ここは昔何があったっけ?」
ふと、そんな風に立ち止まることがある。

建物が壊されてしまい、更地になっていたりして
いつの間にか新しい建物ができていると、
かつてそこに存在した記憶が、わからなくなってしまうことが多い。
ひっそりと建つ古い民家だったかもしれない、
あるいはかつて流行っていたお店だったかもしれないそれらは、
あっという間に人々の記憶から消え去られてしまうのだ。
そんな話をすることは、誰でも経験があるだろう。
それは、もちろん仕方のないことではあるのだけれど、
私が悲しく思うのは、街の風景ががらりと変わっている時。
大きなお屋敷が細かく分譲され、ひしめき合うように小さな家が並ぶと、
「ああ、ここに越してくる人は、ここがかつて風情のあったお屋敷だったという歴史を知らないのかもな」とふと思う。

誰がどこで何を建てるかは、もちろん法律に反していない限り自由だ。
ただ、作る側もそこに暮らす側も、リテラシーがあるに越したことはない。
まず、その地域性を知ること。
そして、その街の歴史を大まかでもいいから知っておくのは大事なこと。
自分が新しく住む地域を理解することは、自分の暮らしに深くかかわる話だから。
その上で、自分自身もそして家もその町に馴染むかどうか。
しっかりとそこを考えることは、後々いろいろな意味で重要だということを知っておきたい。
賃貸なら、なんとなく水が合わないから引っ越すというのは簡単なことだけれども、家を建ててしまったらそうはいかない。
となると、何故この土地を選ぶのかについて、
真剣に考える必要があるのは当然のことで、
その地域性から外れることをやれば、当然のことながら住んでもなんとなく居心地も悪くなる。
そもそも自分に合っていない場所なのかもしれない。
逆に、更地から実に素晴らしい雰囲気を作り出す人もいる。

こんな風に考えたことはあるだろうか?
古くから住んでいる人が、そのお屋敷があったことで、その通りの雰囲気がとても好きだったとする。
よく手入れされた植栽や生け垣が、その街並みによく馴染んでいたとする。
でも、事情があって所有者が売ることになった。それは仕方のないことだ。
では、それがなくなった後、開発業者、施工業者、そして購入者がどうしていくべきか。
そんなことを考えて家を作る人は、少なくなってしまったかもしれない。
でも、古くからあるその街並みの雰囲気を思わせる新旧の入れ替わりは、
きっとまわりの人間から受け入れられる。
大きな変化は、あまり愉快なものではない。
周りの人間が嫌なものが建ったと思った場所に、
初めて住むのは見えない壁があるようなものだ。
見えない壁は、極力薄くあってほしい。
ならば、どうする?
それは、その土地に関わる全ての人間に、
ちょっと立ち止まって考える意識をもつことかもしれない。
それぞれの立場の人間にリテラシーがあれば、
少しでも街並みを壊さない計画が持ち上がるかもしれないのだから。
そういう意識を持つか否か。
これからは、そういうことを大切にする時代にならないといけないと思う。

建築家田根剛氏のとある講演で、本当に心の底から共感した。
デザインというものが、まだ日本において確立されていないのではなか。
かっこいいものを作りたいということばかりが、
まだまだ先走っているのではないか。
歴史、伝統、技術が一つになっていかなくてはいけないし、
デザインとモノづくりを両立させていかなくてはならないと。
家具でも建築でも、デザインはもっともっと競争が必要で、
デザインは、競争でしかよくなっていかないのだと、彼は話していた。
それは、家づくり、街づくりすべてに同じことが言える。
そこで、彼はこんなことも話していました。
街づくりを人任せにしない。
どんな街にして、どんな暮らしをしたいという思いを、
街として都市計画をしていかない限り、形にはなっていかない。
「時間の価値」これが、
どれだけ重要かという問題意識をもつことが大切なのだと。

その土地の歴史を理解し、土地や住む人を知り、
壊して作り変えるばかりではなくて、どんな街にしたいのか
何を残し、何を足すべきなのかを考える。
環境が変わったのではなく、今の我々の考え方が変わってしまったのだと、
それぞれが理解することがとても大切なことなのです。
知らないうちに壊れてしまった街並みを、美しい姿に戻す作業は容易ではないことを、壊れてからしか理解できないのは、寂しいと私は思う。
美しい街並みは、その土地全体の価値に繋がることを忘れてはいけない。

そんな、今日はちょっとまじめなお話しでした。