それぞれの原風景
カテゴリ : お山生活 2018.11.09
「原風景」と聞くと、人はどんな景色を想像するのだろう。
私は松がそびえ立ち、竹垣がずらりと並ぶ通りや、
護岸整備される前の低い土手に
鮮やかな黄色い花が咲き乱れる光景を思い出す。
そこでピクニックをしながら、お絵かきをしていると、
江ノ電が陸橋を渡る時の音、海風に乗って聞こえてくるアザラシの声。
かつて子どもの頃住んでいた地域光景が、
この一言でまざまざと思い出される。
でも今は、様子がだいぶ変わってきてしまった。
人によっては、原風景というものが当然違ってくるのだけれど、
日本人の心の目で見る「心像風景」としての農村風景を、
原風景と呼ぶこともあれば、見知らぬ農村風景を見ただけでも
そう思うこともある。
はたまた都心の高速道路を原風景という人も、当然いるわけです。
先日、朝早くに電車に乗り、遠出をしました。
電車の中から眺める街並み。徐々に東京を離れて内陸に進む。
畑が目立つようになり、ある駅に降り立つ。
そこで思うのが、どの地方の町もあまり変わらなくなってしまったこと。
「らしさ」が見えづらくなってきている。
ちょっとした地方都市は地方都市の同じムードを持ち、
田舎の小さな駅は、小さな駅の同じムードを持つ。
今まで、たくさんの駅に降り立っているわけではないけれど、
駅前に、タクシーやバスの乗り場があって、
コンビニか大手チェーン店のお店。
ちょっと駅が大きくなれば、有名店のコーヒーショップか大手のスーパー。
なんてことはよくある。
掘り下げていくと、それぞれにとても素敵な特徴があるのだけれど、
降り立った時にそれがわからない。
どの地域にいっても同じような光景って、不思議な気分になる。
外国の観光客は、どのように捉えているのかと想像してみたりする。
昔は、きっとそうではなかったはず。
そのまちや駅できっと独特な雰囲気があったり、
そのまちの色、におい、空気なんかがあったのだろう。
これから地方がどんどん変わる時代。変わろうとする時代。
また変わらなければならない時代。
駅を出て、まちに一歩入った時、目に留まる看板だったり、
小さな本屋だったり、喫茶店だったり、古い建物だったり。
なんかそのまちのワクワク感があると、そのまちを想像する。
そう思うと、やはり住んでいる人たちが、
「自分のまちをどんな風にしたいのか?」と、
考えることって、実はとても大切なことなんだと思う。
答えはいろいろでいい。でもまず「考える」それが大事なんだろうなと、
はじめてのまちの、夫婦が営む喫茶店から駅前を眺めて、
そんなことを考えた。
あなたにとって、原風景ってどんなですか?
今もその光景を見ることはできますか?