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引越しに思うこと(願望編)

カテゴリ : 住む人日記 2017.11.24

今年も残り40日を切り、木枯らしも真冬の底冷えに変わりつつある。少し気の早い私はもう来年のことを少し考えたりしている。そしてい今、我が家はダンボールの山でいっぱいだ。引っ越し間近、仕事の合間を縫ってはせっせと大量の本に食器にと梱包している。短い期間でも思い出の詰まった住まいだったことを肌に感じて少しセンチメンタルになったりもする。

引越しを経る度に「多くの人は今の住宅事情に満足しているのか」と素朴な疑問が浮かんだ。星の数ほどある物件の中で、住む人の目線になり日々の暮らしが充実して快適であるよう真剣に考えて建てられた物件は、おそらく一握りも無いだろう。もちろん賃貸はあくまでビジネスや土地の運用なのだから当然かもしれないが、本当にそれが当然で良いのだろうか。

日本中の賃貸で、多くの人が「住むこと、暮らすこと」に愛着のない大家や業者が建てた住まいで暮らさなけれなならない現状がなんとも悲しい。人も暮らしの形も様々だからこそ、賃貸は住むこと暮らすことを深く考えた最良のシンプルな家として、見直される必要はないのだろうか。

「賃貸だから仕方ない」という文句を何度も聞いた。けれども多くの人が、多額の引越し費用を工面し、安くない家賃を毎月支払って生活しているのだ。もちろん、オーダーの戸建のような心地よさを求めているわけでは到底ない。帰るのが楽しみで、部屋や暮らしのあれこれを考え、施す余地のある家であれば、それだけで良い•••と半ば恨めしく私は思わっている。

家賃を上げたからと言って変わるのは立地や設備、内装の豪華さ(これは時に住む自由を奪う)であって、問題の本質は改善されないのだ。誰もが一度は通る借り住まい。いつか自分も思い描いた家を持ちたいと、住まいに関心が湧くような、夢のある物件が増えることを願っているし、建てる側がもっと暮らしのあり方にコミットし、考えることが当然という価値観が、ゆっくりと時間がかかっても育まれることを願っている。

少子化が進み人口減少に歯止めがかからない時代、せめて人はもっと豊かに住まうことを大切にしなければならない。それはライフスタイルショップで買える類の豊かさではなく、真剣に家と暮らしを考えることでのみ手に入れられるものだろうと思う。

きっとその流れが起きたとき、日本の住宅事情や、人々の価値観を少しづつ良いものに変えてくれるだろうと信じている。