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撮影での立ち話

カテゴリ : 住む人日記 2018.05.03

先日、ある撮影現場でスタイリストさんとこんな立ち話をしました。
「生きている感じを、もっと出したいですよね」
なんとも漠としたその感じ、聞いたところでいったい何を?と思うかもしれません。

私たちは、普段の生活の中で繰り返し食器を使い、服を着まわします。
それを広げて考えていくと、身の回りにあるものは全ては生活の道具であり、持ち主から潜在的に役割を与えられているのです。家はもちろん、どんな些細な消耗品に至るまで、役割を持つことで「生きている」。

ですが撮影の現場では、そうした生の物ではなく、撮影用のリース品や使われた実績のない新しい物などを撮らなければなりません。でもそれが、皆さんの生活を豊かにすると謳われた新商品だったりするので、なんだか実態が伴わないのです。
そんなとき、私やスタイリストはじっと考えます。
この子にどうやって、息吹を吹き込もうかと。

役割というのは、主人(持ち主)が日常の中で与えるものであって、
「鍋は食べ物を煮るもの」というはじめに決められたそれを指す訳ではありません。だからこそ、息を吹き込むのは簡単ではないのです。

例えば、すでに息する私物を織り交ぜてみたり、あるいは主人を演じてみたり。でも一番は、スタイリストさんがそっと触りながら愛情と眼差しを注ぐこと。魔法をかけたように、みるみる息をして生き生きとするのです。本当に魔法のように。そうして少しでも、写真になって見る人に体温や呼吸を感じてもらえるように撮れたら、私は幸せです。

フェイクの世界でリアルを再現する現場に立つからこそ思うのですが、
突き詰めれば、生き生きした様子というのは、
やはり本当に使っている最中だったりするので演出には叶いません。

皆さんはお気づきでないかもしれませんが、自身の持ち物たちの主人として、私たちが再現しようとする物たちが喜ぶ姿を日々、目の当たりにできるという幸運に恵まれています。あまりに自然な現象すぎるので、見落としてしまいがちですが、どうぞ目を見張って、観察してください。そのうち、主人は愛ある演出家であり指揮者だと、物も認識してくれるはずです。

そんな発見のあるGWになりますように。

写真は、私の私物と朝食です。